短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(38) 『うつほ物語』の桜

12.05.02

ご存じのように、平安時代、「花」と言えば「桜」を指すようになりました。『伊勢物語』八二段では、惟喬の親王(文徳天皇の第一皇子。八四四~八九七)や「右の馬の頭なりける人」(=在原業平)らが、桜の花盛りに、渚の院(「院」は貴族の邸宅)に出かけています。

いま狩する交野の渚の家、その院の桜、ことにおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りて、かざしにさして、かみ、なか、しも、みな歌よみけり。

渚の院の桜はとても美しく、惟喬の親王のお供をした人たちは、桜の樹の下で、それぞれ歌を詠んでいます。登場人物は男性ですが、桜の枝を折って髪飾りにしたとあり、とても風流ですね。

『うつほ物語』にも、これと似た場面があります。紀伊国(今の和歌山県)、神南備種松の邸宅の一区画「林の院」は、吹上の浜の辺りにありました。

院に、広くおもしろき浜に、花の色を尽くして並み立てる中に、高く清らなるおとど立てり。[新編日本古典文学全集①四〇三頁]

浜辺には、色とりどりに咲いた桜が並び立っています。その中に、高く美しい御殿が立っていました。青い海に並び立つ薄紅色の桜。しかも、「花さそふ風も心すごく吹きて」とあり、花を散らす風が吹き、おびただしい数の桜の花びらが空を舞っている、幻想的で美しい場面です。人々は桜の宴にふさわしく、桜の下襲を着て花見をし、歌を詠みました。

もう一つ、『うつほ物語』の桜で印象的な場面をご紹介しましょう。楼の上巻で、年老いた嵯峨院(七十二歳)は、まだ皇太子になる前(親王であった時)、伯母宮のいた京極邸にたびたび出かけたことを思い出しています。

いと厳めしき森のやうにて、桜の木あり。あはれ、この木見るこそいと恐ろしけれ。むかし十余歳にて、春ごとに来つつ、書(ふみ)見るとて、見困じて下りつつ遊びし。[新編日本古典文学全集③六一七頁]

嵯峨院は、十歳ぐらいの時、春になる度に京極邸の桜の樹に登り、書物(漢籍)を読んでいたそうです。親王さまも、木登りをして楽しんだのだと思うと、思わず笑みがこぼれますね。

でも、時は過ぎ、桜の木は残っていても、伯母宮はすでに他界していますし、嵯峨院も年老いてしまいました。幼い頃の桜の記憶は、人をとても感傷的にさせます。それは、桜が二度と戻ることのない時間の中にあるから、人によっては、今は亡き愛する人との思い出の中に桜が美しく咲いているからでしょう。

皆さんは、どのような桜の思い出をお持ちですか。両親や家族と愛でた桜でしょうか。それとも友人や恋人と一緒に桜の樹の下を歩いたことでしょうか。一人で眺める夜桜も素敵ですね。旅先で出会った桜も、一期一会で忘れがたいものがあるでしょう。桜の花が散るのを残念に思うあなたは、桜をこよなく愛する日本人の遺伝子をしっかり受け継いでいるといえましょう。

(し)
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