(32) 根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』(1)
12.02.25
老人が餅を喉に詰めて死んだという記事が年初の三面を飾らない年はない。もしそんな場面に遭遇したら、どうすればよいか。根岸鎮衛(ねぎしやすもり)『耳嚢』(天明2年-1782-~文化11年-1814-)に対処法を教えてもらおう。小児が餅を喉に詰めた場合を紹介しているが、老人でも同じことだ。以下、長谷川強校注『耳嚢 上・中・下』(岩波文庫)から拾って示そう。
それは、鶏のとさかの血を取って飲ませるとよい。そうすれば、胃に収まるか吐き出すかする。根岸の同僚が自分の子の難儀をこの方法で逃れたという。〈巻之四〉
ほんとかね、と首を傾げたくなる。いや、そういえば、醤油を飲ませる方法を昔田舎で聞いたことを思い出した。醤油ならどの家庭にもあろうが、今時、鶏のとさかを手に入れようとしたら、容易なことではない。直ちに救急車を呼ぶことをお勧めする。
根岸は勘定奉行や南町奉行を勤めたから、一日中坐っていることが多い。そのためか、痔疾に悩んだようで、雑談の中で仲間の言う怪しげな呪(まじな)いにさえ耳を傾けている。
胡瓜を月の数だけ用意する。裏の白い紙に姓名と花押を記し、河童大明神を宛名とした書状を添えて川へ流す。さすれば快気を得る。〈巻之四〉
聞いた根岸は、重職にある者が安易に姓名を記すのはまずかろうと一笑に付したが、痔の病に耐えきれず寺に香花を備えて平癒祈願した者、吉原の妓女が用いた薬草、独自の妙薬によって痔疾の療治を行なう老婆の話などに並々ならぬ関心を寄せているから、相当に苦しんだらしい。
『耳嚢』所載の話は雑多で多岐に亙る。このエッセイでも以前に紹介した大岡越前の逸話もあれば、怪談や艶笑譚、ほろりとさせる人情話もある。狐や狸などが人を化かすばかりでなく報恩する話、下級人民の意外な教養に驚く話など、10巻1000項目にも及ぶ。いずれも直接間接に耳にした話を書き留めたもので、どれを読んでも面白い。上記に続いて、呪いに関わる眉唾ものの情報をいくつか紹介しよう。
虫歯の痛みに悩む方には、次の処方が朗報だ。
韮の実(種のことか?)を焼いた煙を管に通し、痛みのある箇所をいぶす。また、瓦を焼いて銅の椀へ入れ、韮の実を置いて湯をかけると、煙が立つ。その煙で耳を蒸すと、耳から白い物が出て来る。それが虫歯の元になる虫だ。〈巻之二〉
おいおい、人を担ぐのも大概にしてくれ。歯はいいから鼻へ行こう。突然垂れてきた鼻血に困ることは誰だってあるから、きっと役に立つ方法が示されているかもしれない。
青鵐(あおじ、アトリ科の鳥)の腹を裂いて、人参を一匁(もんめ)入れて黒焼きにした物を呑むか鼻の穴に付ける。〈巻之五〉
えっ、「あおじ」って何ですか? たとえネットで注文しても届くのは明日以降だろうしなあ。なになに、もしくは、鼻血の滴り落ちた所へこの黒焼きを振りかければたちどころに止まるって? アオジが手に入らなければどうしようもないじゃないか。
だが、さすがは情報通の根岸先生、もう少しましな方法を紹介してくれている。
鼻血が左から出たら、自分の左の睾丸を握り、右なら右を握る。両方なら両方を握ればよい。〈巻之四〉
なるほど、これなら面倒な準備はいらない。だが、女性の場合はどうするか。心配ご無用。乳房を握って呪えば妙なる効果あり。ただし、人前で堂々と披露しにくいのが難点だ。