短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(24)『うつほ物語』と樹下人物図②―樹下美人図―

11.12.12

日本史の授業で習うと思いますが、正倉院の「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」(8世紀・日本製)には、樹の下に、唐風の豊満な女性が立っている姿が描かれています。(屏風は6扇あり、屏風1扇につき、樹下に立っている女性と樹下の石に座っている女性がそれぞれ描かれています。)

以前、(17)でお話しした「樹下人物図」と言えますが、樹の下に女性が配置されていることから、「樹下美人図」と呼ばれています。樹下美人図のルーツは、イランやインドにあるそうです。日本には、シルクロードを通って、主に中国からもたらされました。

この図柄を、言葉(短歌)で表現したのが大伴家持(おおとものやかもち)です。

春の苑 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ少女(をとめ)[『万葉集』巻19・4139]

この歌は、天平勝宝2年(750)に、越中国(今の富山県)で詠まれたものですが、実際に越中の女性を詠んだというよりは、樹下美人図の歌化であるとされています。春の夕暮れ、広大な庭園の桃の樹の下に立つ少女。空も桃の花も女性の頬も桃色に染まっていて、とても美しい光景が目に浮かびますね。

さて、鳥毛立女屏風のような樹下美人図は、平安時代に見かけることはほとんどないと言ってよいでしょう。平安貴族女性が立つ姿は、品がないとされていました。「いざり歩き」がよしとされたのです。

奈良絵本(室町後期~江戸時代中期の挿絵入り彩色写本)などの『うつほ物語』で、俊蔭の娘が立っている絵はほとんどありません。京都の北山で、俊蔭の娘が杉の大木のうつほ(空洞)に住んでいた場面も、十二単を着て坐し、琴を弾いている姿で描かれています。『うつほ物語』を絵にしたもので、女性が立っているものは、天女と子どもと身分の低い女性、それに親しい間柄の男女です。

座って琴を弾く図柄は「樹下弾琴図」ですから、樹の下に人物を配置する点では、「樹下美人図」と同じです。でも、中国やインド、ペルシャで多く描かれた、樹の下に立つ女性の姿は、平安時代、貴族女性にとって、日常でそのようなシチュエーションもなく、どうやら平安貴族女性には馴染まなかったようです。

※「鳥毛立女屏風」は、宮内庁の正倉院のHPで見ることができます(「正倉院宝物検索」でお探しください)。奈良絵本の『うつほ物語』は、京都大学電子図書館(京都大学附属図書館蔵「奈良絵本 宇津保物語」 一般貴重書・86855・04-30/ウ/01貴)で見ることができます。ぜひ、ご覧ください。

(し)
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