短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(20) 板倉政談(2)- 2(19)の続き

11.10.29

これが大岡政談となると、一層その筆に磨きがかかってくる。「後藤半四郎一件」中に余談として載せられた逸話を紹介しよう。

江戸神田鎌倉河岸に、豊島屋という居酒屋があった。愛想よく、しかも酒は負けてくれるので、繁盛この上ない。ある日、この豊島屋へ六十余りの老人が一人入ってきた。独酌で二合、代金を払って店を千鳥足で出たはいいが、しばらく行ってから血眼になって引き返してきた。店へ戻ると、先ほど座っていたあたりをうろうろと何か探し回る。老人が、20両入りの大事な財布を落としてしまったが、ここで拾った人はないか、と涙をこぼしながら訴えても、居合わせた客は一向知らないと言う。あまりしつこく探し回るため、店の者は盗人か詐欺師だろうと思い、夢でも見たのか、20両どころか2両だって持っていそうもない格好しやがって、と散々に罵る。その金には仔細があるのだ、と老人が言っても耳を貸さず、とうとう殴りつけて追い払ってしまう。

店の向かいでその一部始終を見ていた駕籠舁(かごか)きが、老人を助けて介抱しながら、木綿の財布らしき物を店の若い者が拾って隠したのだと告げる。老人は、妻が三年越しの大病を患ったため、困窮の余り、娘を吉原へ年季奉公に売り渡したその代金だ、せめて憂さ晴らしにと一杯やったのだが、この始末、こうなったら、飢え死にするしかない、と涙ながらに説明する。気の毒に思った駕籠舁きは自分が証人になるからと言って、奉行所へ訴え出ることを勧めた。

奉行は、事情聴取を受けた二人を留め置き、早速豊島屋の主人を召喚する。豊島屋は当日留守をして事情を知らない。奉行は、駕籠舁きに財布の形状を質すと、それは盗品としてすでに届出がある、お前らは結託して20両をせしめようとしたのだ、と決め付け、二人を拘引した。一方、豊島屋へは、盗品を拾ったまま隠匿したら、厳重に処罰する、十分に店を探すように、と厳しく言い渡す。果たして店では財布を拾った若者がいた。早速奉行所へ差し出すと、牢へ入れておいた二人を白洲(=裁きの場)へ呼び出し、老人の落とした財布であることを確認する。盗人と聞いていた豊島屋は驚く。奉行は、落し物を探せと言ったら、そのまま隠匿される可能性が高い、だから盗品だと言ったのだ、と説明しながら、二人の縛めを解いてやった。〈尾佐竹猛校訂『大岡政談』―昭和4年、博文館〉

奉行の頓知に舌を巻きながら冷や汗を流していた豊島屋にはまだ仕事が残っていた。奉行は、拾った金を届け出なかったのは監督不行き届きであるから、老人の娘を吉原から請け出し、年季分だけお前の店で預るように、もし娘に異変が起きたら、お前の責任だ、と命ずるのである。しかし、娘は生き物だからどうなるか分からない。お咎めも嫌だから、請け出した後は親元へ引き渡すがよかろうというので、その旨奉行所へ願い出て裁許される。豊島屋は衣類にいくばくかの金子を添えて娘を老人の許へ送ってやった。

誠に孝心の余慶(よけい)報い来て、苦界(くがい)を遁(のが)れ、駕籠舁きの実意を以て、この事早速裁許に相成り、その上大岡殿の当意即妙七衛門娘の悦(よろこ)び、譬(たと)ふるにものなしと、この頃この儀専(もっぱ)ら評しけるとかや。

悪を懲らし、赤貧洗うがごとき無辜の民を救うという、だれもが望む社会正義に貫かれた痛快さが、この話の末尾に付された作者の言葉からも伺えよう。

(G)
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