心理・福祉学部 社会福祉学科 │ 聖徳大学

学科長コラム④電車での化粧―ウチとソトの空間認識の変化                                       

23.10.01

皆さん、こんにちは。学科長の山田です。
今回のテーマは「化粧」についてです。
ご一緒に考えてみませんか。

  コロナ禍以降、マスク着用が広がってからは、見かけることが少し少なくなったように感じることがある。電車での化粧についてである。多くが若い女性である。ちょっとした化粧直しではない。電車のなかで、初めから本格的に化粧をしているのである。かなり前のことであるが、初めてその光景に「出くわした」ときは、さすがに唖然としたことを覚えている。電車内は明らかに公共の場であり、公衆の面前で化粧をしているのである。まわりは無関心を装いながらも好奇心が入り交じった視線を投げかけていた。当の女性はそうした視線をまったく意に介していない様子であり、あたかも電車には自分以外存在しないようなふるまい方であった。多くの女性にとって化粧をするところは見せたくない、見られたくない行為の一つに挙げられるのだが、その女性は他者の目を恥じて自己規制するという様子もまったくなかったのである。明らかにウチとソトの空間認識の変化を感じた出来事であった。いや、変化というものではなく、もともと、大きな相違があるのかもしれない。

  基本的にマナーというのは相手があってふるまわれるもので、相手と自分の関係によってどのようにふるまうかが決定される。日本人の生活意識には、人と人とのあいだ、とりわけ自己と他者のあいだの心理的距離としての対人間が、日本的な人間関係の調整に大きな役割を演じてきたし、今でもそうであると、熊倉功は論じている。しかし、実際に相手が存在していても、存在しないかのようにふるまうのであれば、マナーは必要なくなる。電車で化粧する女性も、おそらく、親しい知り合いには丁寧なマナーを発揮しても、知り合いがいないような公共の場になると匿名性に隠れ、マナーの必要性を感じないのかもしれない。マナーのあり方としては本末転倒ではないだろうか。

皆さんはどのように考えますか?



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