短期大学部・保育科 │ 聖徳大学

保育所を実習経験!

19.08.23

8月24日(土)25日(日)、聖徳では夏休み最後のオープンキャンパスを開催します!詳しくはこちら

<高校生の皆様> ホイクカ女子2年生に、保育所実習後の体験をうかがってみました。保育へのあこがれや、保育者への夢をもって保育科に入学したいと思っている皆様に先輩の声をお届けします。 実習期間は、5月20~6月1日でした。   参加してくれたのは、保育科2年生、4名 WYさん(左上)   YMさん(右上)

YSさん(左下)  TMさん(右下)   ◎まずは、自己紹介。二つのことを伺いました。 〇好きなこと、得意なこと 〇どんな保育者を目指しているのか  WYさん(左上) 〇得意なことは、製作活動 〇調理師免許を持っているので、食育の活動も行っていきたと思っています。 YSさん(左下) 〇得意なことは、運動すること 〇将来は、子どもの心に寄り添える保育者になりたいと思っています。 YMさん(右上) 〇外で遊ぶのが好き! 〇自然での遊びを取り入れたい。子どもと笑っていられる保育士になりたいと思っています。 TMさん(右下) 〇踊りとピアノが得意 〇将来は、子どもを笑顔にできる保育者になりたいです。   Q1,実習で面白かったことや、気付いたこと、困ったことなど、印象に残っていることを教えてください。

施設なんだけど、乳児クラスが2階にあって・・・ 子どもたち、階段を自分で這い上がるの。体の発達を促している。 トイレが保育室にあって、いつでも行けるようになっていた!

環境づくり。クラスでカイコを飼っていた。子どもの手の届くところにあって触れるの。 カイコの成長のプロセスが分かるように、子どもの目の高さに写真が貼ってあった。葉を食べて黒いウンチをするのね。私、触れないと思ったけど、触れた。足に吸盤があってね・・・ 一人だったら触れなかったかも知れないけど、子どもがいたから触れた。

私は、すごいと思った5歳児。 運動会に向けて縄跳びをするの。その縄なんだけど,自分で編んで作るのよ。 (縄を編んでつくる?) 三つ編み。編む練習をしていたんだけど、自分で作る達成感が味わえるんだと思う。 手先の機能を高めることもやっていて、着替えは袋に入れるんじゃなくて、風呂敷に包むの。

乳児クラスで、言葉のわからない子にどう関わったらよいのか分からなくて・・・。 泣いている子がいたので、バナナ(布製)を持っていって、「バナナだよ」って言ってみたり、音のなるおもちゃを渡してみたり。(なんでバナナなの?) その子がバナナのおもちゃを好きだって聞いていたので。 音のなるおもちゃを渡したら、つかんで泣き止んだ‼ ( )の中の質問は、記事の担当者がしたものです。Q2,実習ではどのような学びがあったと思いますか。 YSさん 子ども一人一人にあった関わり方を、子どもと過ごす中で見つけていくこと、子どもたちと関わるときは、保育者や実習生が一緒になって楽しく遊ぶことが大切だと学びました。 YMさん 年齢にあった手遊びや絵本を選ぶことが大事ということ。子どもに、私がやろうとした手遊びじゃないものをやってと言われた時があったけれど臨機応変にできた、たくさん覚えておくと役に立つということがわかりました。

TMさん 2歳児のクラスに入ることが多かったので、2歳児の発達をしっかりと踏まえ、しぐさや表情から子どもの気持ちを読みとることが大切だと学びました。 WYさん 自分のクラスの子どもだけでなく、視野を広げて全体を見る大切さ、同じ年齢でも個人差や性格の違いがあるので、一人一人の子どもを理解しておくことが大切だと改めて感じました。 Q3,子どもたちを一緒にやってみたことなど、紹介してください。  (バスケットの中から美味しいパンが・・・) バスケットも手つくりです。

(パネルシアターで使った作品)  

(ペープサートなど)

(エプロンシアター)   得意を生かすホイクカ女子、子どもたちも喜んだことでしょう。Q4,最後に、次の実習への思いを伺いました。YSさん 子どもたちと一緒に楽しめるものを新しく作り、実践したい。さらに成長したい。 YMさん 乳児への声掛けを頑張りたい。子どもの発達を考えたパネルシアターやペープサートを準備していきたい。 WYさん 今回は、絵本や手遊びが多かったので、次はピアノを弾いたり、授業で習った踊りを実践したりしたいです。子どもたちの関係も深めていきたい。 TMさん 保育所保育指針を読んで、書いてあることと重なる場面に気付いたので、さらに読んで、新たなことに気付けるようにしていきたい。パネルシアターや手袋シアターなど、たくさん作って準備したい。  きちんとした振り返りができているうえに、次の実習への意気込みも感じられたホイクカ女子でした。次の実習でも子どもたちの笑顔に会えるでしょう。 

 担当は、塚本でした。 

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