(121) 江戸の珍談・奇談(11)
14.09.29
『江戸塵拾(えどちりひろい)』は、江戸市中で見聞した奇物や怪異を集めたもので、余計な修飾語や粉飾を廃して、事柄のみを淡々と並べてある。それだけに却ってその記し方は真に迫るものを感じないわけにいかない。
『燕石十種』には5巻本が収録されているが、もと2巻本だったらしい。明和4年-1767-に成立した2巻本を改稿・増補したのが5巻本と推測されている(同書後記)。その成立年代は明らかでない。ただし、この書を蔵していた柳亭種彦が文政6年-1823-に記した識語によれば、それより60年前にはすでに入手していたことが知られる。
さて、この書には、小豆洗いや狐の嫁入り行列など、今でもよく知られた怪異が紹介されているが、それでは珍しくもない。ここでは『江戸塵拾』ならではの怪異譚をいくつか紹介しよう。
松平美濃守の下屋敷が本所にあった。ある年、敷地内にある3町(=約324メートル)四方の沼を埋め立てようという話が持ち上がる。その時、上屋敷に憲法小紋(けんぼうこもん)の裃を着けた老人が一人現れ、取り次ぎの武士に「私は御下屋敷に住む蟇(がま)でございます。この度私どもの住む沼を埋め立てなさると伺い、参上いたしました。なにとぞその儀はお取り止めいただきたい旨、殿様のお耳に入れてほしい」と言う。退座した武士がそっと覗くと、憲法小紋の裃と見えたのは、蟇の背中にある斑紋であった。体はまるで人間の大きさで、両眼が鏡のように炯々としている。早速その旨を美濃守へ伝えると、聞き届けられ、埋め立ては沙汰やみとなった。元文3年-1738-のことである。〈『燕石十種』第五巻「江戸塵拾」巻之二、394ページ〉
以前紹介した松の巨木の精霊と同趣の話である。
外桜田に住む永井伊賀守の屋敷前に、元文4年六月、雷が落ちた。次第に雲が切れ、一頭のけだものが雲に昇ろうとするところを、大勢が寄って打ち殺した。それは今当家の什物として毎年土用干し(=虫干し)の折に家臣等に見せているという。その形は犬のようで、牙は狼と同じく、毛色が薄赤い。〈同書巻之一、391ページ〉
本物の雷は、鬼の姿をして虎の褌をしているようなものではなかったらしい。
御典医塙(はなわ)宗悦家から解毒丸を出したが、これはその由来。塙氏の先祖は肥前唐津で、名医の聞こえがあり、江戸へ召された時のことである。妻子と家来一両人を連れて乗船した。順風に恵まれ、すでに筑紫から遠く漕ぎ出したその時、突如蒼海が荒れ始め、暴風に帆柱を折られてしまう。船頭らの努力も甲斐がない。こうした危難の例として、船中の男女が衣類や手拭をそれぞれ海に投げ入れると、塙氏の娘が、着ている小袖とともに白波にまつわり海へ吸い込まれてしまった。嘆く父母に対して、17歳になる美貌の娘は、両親に暇乞いをし、竜神がわが命と引き換えに父母を江戸へ下してくださるはずだ、と気丈に言いながら、荒波うずまく海底へと沈み入った。ようやく風波が静まり、船を漕ぎ出そうとすると、沈んだはずの娘が波を踏みながら海中に立ち上がり、父母を拝して言う。自分は仮に人間界に生まれた身であり、実は竜女である、今再び竜宮へ帰る時を得た、父母の厚恩を謝して一薬を与えたい、この薬を持つ人は勿論、船中の積荷にも塙宗悦の名を記したらば、海難に遭うことはないはずだ、と言う声とともに姿は白波に消え失せた。こうして江戸へ着いた塙氏の作り出した解毒丸は諸病を治すこと、神のごとしといわれる。〈同書巻之三、396ページ〉
かぐや姫を海神の娘豊玉姫へと移し替えたことは明らかであって、解毒丸を売り出した薬屋の創作にかかる宣伝文に相違なかろう。