(95) 三遊亭圓朝『怪談牡丹燈籠』(9)
13.12.15
飯島から孝助に托した遺書を一気に読み下すと、相川は溜息をついた。
孝助とは主従の関係であったが、実は敵(かたき)同士であったこと、孝助の忠心に感じ、主殺しの罪に落さずに本懐を遂げさせてやるため、源次郎と見間違えさせて自分を討たせたこと、孝助を逃がし、自身で源次郎を討てば、飯島家は滅亡するが、孝助が主人の仇を討ってくれれば、家名再興がなること、孝助と相川の娘との間に出来た子を飯島の相続人としてほしいことなど、事後の処置について縷々書き置いてあったのである。また、源次郎らが身を隠す先はお国の親元である越後の村上であろうから、孝助は時を移さず追いかけるようにともあった。
一方、当の飯島は、孝助の仇討をしやすくするため、源次郎を手負いにしようと思い、寝込みを襲う。しかし、深傷に堪えかね、逆に討たれてしまう。源次郎らは飯島邸を忍び出てどこへともなく落ちて行く。
ところで、萩原新三郎が護身のために肌身に着けていた金無垢の海音如来を奪った伴蔵とおみねは、露見を恐れて中山道の栗橋宿に身を隠す。そこで、同宿の料理屋で酌取り女として働くお国と伴蔵とが知り合うことになる。源次郎は、飯島から受けた傷が痛み、長逗留を続けているうちに路銀が尽きたため、お国の稼ぎに頼っていたのである。
こうして悪者どもを一か所に集結させておいて、一網打尽に孝助の仇討を成功へと導く舞台をしつらえた。その経緯は原文に当ってもらうことにしたい。だが、一点だけ新三郎の怪しい死の真相については、推理小説のネタを明かすようで申し訳ないが、示しておいてよいだろう。
栗橋へと逃げた伴蔵は、お国との関係をおみねになじられ、ついに殺害してしまう。ところがその霊が下女に乗り移り、伴蔵の悪事をばらし始める。ちょうどそこへ新三郎の友人山本志丈が訪れ、真相を明らかにするよう伴蔵に詰め寄る。すると、隠し通すことのできなくなった伴蔵は開き直って、次のように事実を明かしたのだった。なお、その山本は、例の海音如来を掘り出したところで、伴蔵に口封じのために斬殺されてしまう。
伴「実は幽霊に頼まれたと云ふのも、萩原様のあゝ云ふ怪しい姿で死んだといふのも、いろいろ訳があつて皆(みんな)私(わつち)が拵(こしら)へた事、といふのは私が萩原様の肋(あばら)を蹴(けつ)て殺して置いて、こつそりと新番隨院の墓場へ忍び、新塚(しんづか)を掘起し、骸骨(しやりこつ)を取出し、持ち帰つて萩原の床の中へ並べて置き、怪しい死にざまに見せかけて白翁堂の老爺(おやぢ)をば一ぺい欺込(はめこ)み、又海音如来の御守もまんまと首尾好く盗み出し、根津の清水の花壇の中へ埋めて置き、それから己(おれ)が色々と法螺(ほら)を吹いて近所の者を怖がらせ、皆あちこちへ引越したを好(い)いしほにして、己も亦おみねを連れ、百両の金を摑(つか)んで此の土地へ引込んで今の身の上、……〈岩波文庫、131ページ〉
この辺りは、怪談という虚構と仇討という現実とを結び付けるため、無理に取って付けたたように見える。饒舌が売り物とはいえ、ご都合主義的な合理化はむしろ余分であろう。