短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

【コラム】ななくさ粥

26.01.08

 よき新年をお迎えになったことと思います。
 昨日1月7日は、「七草粥」をいただく日でしたね。皆様は召し上がりましたか?

 古代中国の『荊楚歳時記』(6世紀頃)には、「正月七日を人日〈人を占う日の意〉となし、七種の菜をもって羹(あつもの)をつくる」とあります。七種類の野菜の羹〈スープ〉を食して、無病息災を祈ったようです。日本でも、古くから旧暦正月七日や十五日などに若菜を摘んで食べる風習がありました。

 平安時代の『枕草子』「正月一日は」には、「七日。雪間の若菜摘み、青やかにて、例は、さしも、さるもの目近からぬ所に、もてさわぎたるこそをかしけれ」(七日、雪の消えた所から出ている若菜摘みは、いかにも青々としていて、ふだんは、そんなに、そうした若菜みたいなものは見慣れない高貴な所で、もてはやしてさわいでいるのはおもしろい)とあり、正月七日に若菜を摘んでいたことが知られます。また、『枕草子』「七日の日の若菜を」には、「七日の日の若菜を、六日人の持て来、さわぎ取り散らしなどするに、見も知らぬ草を、子どもの取り持て来たるを」( 正月七日の日の若菜を、六日に人が持ってきて大騒ぎをしてやたらに取り散らしなどする時に、見も知らない草を、子供たちが持って来たのを)とあり、六日に行う「若菜迎え」の先駆でしょうか。翌日の七日に若菜を食していたのでしょう。

 さらに、『枕草子』「正月一日は」には、「十五日、祝い膳を主上にさしあげてお据えし、一方、貴族の家では、かゆの木を隠して……」とあり、これは正月十五日の望の日の粥「望粥(もちがゆ)」のことです。この日七種の穀物の粥を食べると邪気を払うと言われていました。粥を炊いた燃え残りの木を削って〈粥杖のこと〉女性の腰を打つと男子が生まれるという俗信もあったとか※1(新編日本古典文学全集『枕草子』18ページ頭注三)。

 平安時代中期の法典『延喜式』(927年)には、「正月十五日供御七種粥料。……米一斗五升・粟・黍子・稗子・葟子・胡麻子・小豆各五升」とあり、正月十五日に米・粟・稗・黍など七種類の穀物を入れて粥を作っていたことが知られ、平安時代には「七種粥」(雑穀粥)もあったことになります。『枕草子』の「正月十五日、粥を炊いた木」の粥は「七種粥」を指しますが、次第に「七草粥」と混同されるようになってゆきます。

 平安時代の物語『うつほ物語』あて宮巻には、春宮と藤壺女御との間に男子が誕生した際、七日目の産養(うぶやしない)で、藤原仲忠が銀製のみごとな瓮に七種の穀類を混ぜた固粥を入れて、それを蘇枋製の長櫃に置いて献上したとあり、物語の世界では、お目出たい宴席でも「七種粥」が食されています。

 さて、現在「七草粥」に入れる若菜は、せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ、の七種類です。ところが、昔は特に決まりはなく、七種類の若菜がそろえばよかったようです。

*『年中行事秘抄』(12世紀末)正月 「七種菜〈略〉御形。須須代」
*『師光年中行事』(1259~70年頃〕正月「醍醐天皇延喜十八年正月七日辛巳、後院進七種若菜」
*『河海抄』(1367年頃) 「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」
*『壒嚢抄』(1446年) 「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ホトケノザ・タビラコ・ミミナシ・アシナ」
*『拾芥抄』(13~14世紀)下・飲食部「七種菜 薺(なつな)・■■(はこべ)・芹(せり)・菁(あをな)・御形(こきょう)・須須之呂(すすしろ)・仏座(ほとけのさ)」

 中世頃から次第に現在の春の七草に固定化していったようです。「七草粥」の呼び方も様々です。

*『広本拾玉集』二(1346年)「けふぞかし なづな はこべら 芹つみて はや七草の御物(おもの)まゐらむ」
*『四季物語』(14世紀中頃?)正月「つとめては御づし所の御かゆ奉る。七草の御あつもの
*『年中定例記』(1525年頃)「七日〈略〉内々の御祝の次に、七草の御みそうづ参」

 平安時代の『源氏物語』若菜・上巻では、正月二十三日の子(ね)の日に、光源氏の四十賀〈四十歳のお祝い〉が催され、玉鬘〈夕顔の娘で、光源氏の養女・髭黒大将の妻〉が、若菜を献上しています。瑞々しい、旬の若菜を身体に取り入れて、さらなる長寿を祈るため、このような賀宴でも若菜は羹〈スープ〉にして食したようです。光源氏は、若菜の吸物を召しあがった(「若菜の御羹まゐる」)とあります。

  一方、『うつほ物語』では、十二月に若菜の羹を食しています。蔵開・中巻には、藤壺女御が「大きな白銀の提子〈銀・錫製などのつると、注ぎ口のある小鍋形の銚子〉に、若菜の羹を一鍋」差し入れたとあります。鍋の蓋には黒方〈薫物の一つで、沈香・丁子香・甲香・白檀・麝香などを練り合わせて作ったもの〉を大きな土器のようにして底を窪めたものを使い、それで覆ってあったそうです。さらに蓋のつまみは、女性がひとり若菜を摘む姿を象った形をしていたとあり、まるで天女が若菜を摘んでいる姿を幻視できそうです。このようなおしゃれな鍋で炊いた若菜のスープをいただくと、長生きできそうですね。

  一月七日や十五日、子の日に食していた若菜羹・七草粥ですが、江戸時代には五節供の一つに「人日」(一月七日)が定められ、この日に若菜羹・七草粥をいただくようになり、次第に、スープではなく「七草粥」に定着していったのでしょう。

 来年はぜひ「七草粥」を作ってみませんか。スーパーで七草をパック詰めにしたものが販売されていますよ。ちなみに、七草粥のレトルトもあります。

※写真は、「正月に出会う 五節供の日本」展(2022/12/29~2023/1/3 東京国際フォーラム)にて撮影

※1 『和訓栞』(1777~1862年)「かゆつゑ 粥杖也。かゆの木とも見ゆ。幸の神祝と称するも同じ。正月十五日、粥を焼たる木を削りて杖とし、子もたぬ女房の後を打は、男子を産といへり」が参考になる。

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