【コラム】 陰徳の果報
24.10.30
江戸の中橋に金丸蔵人という浪人がいた。文武両面に亙って多芸な人だったが、特に鑓の名人であったので、弟子が数多くあり、84歳までの長命を保った。その子息である某は、篤実な性質で、とりわけ人を憐れむ心が深かった。60歳ごろのこと、ある日深川辺へ行って遊び回っていたところ、途中でふと伊勢桑名の人と行き連れになり、終日話をしながら同行した。その折、某が桑名の人に言うには、「今日しばらく同道し、終日気安く語り合ううち気づいたのだが、そなたは何か心中に苦労を抱えているように感じられます。あれこれと話す言葉の端々にも力がなく、気鬱のように見えました。どういう訳ですか」と言ったところ、桑名の人が、「そうなんです。お尋ねくださったから、まずお話しいたしましょう。私どもがこの度江戸へ下りました間に、つまらない者に誘われて、遊里にはまり込みまして、思いのほか金子を使い果たし、格別難儀をしております。今、金子3両ほどなくては、在所へ帰ることもできません。命にもかかわる難儀でございますから、自然とその気がかりが絶えず、あなた様の目にも見咎められるほど顔に出てしまいました」と言う。某は大変気の毒に思い、「それはそれは。私の想像もつかないことですけれども、一日ご一緒し、気安くなった上、こういうお話も伺い、何とも気の毒なことですから、まず、どちらにしても、今晩拙宅へご案内しましょう。その上で何とか工夫もあるはずです」と持ちかけると、桑名の人もありがたいと感じて、それから同道して京橋の邸へ至り、一宿させて十分にもてなす。某はどのように工面したのか、金子を3両調え、翌日桑名の人に与えたので、「思いがけないことで、命の恩人です」と言って、大いに喜んで別れて行った。
その後、1・2年過ぎて、某は、親の弟子らと4人で伊勢参宮をしたが、帰路に桑名で船に乗ろうとしたところ、先年江戸で金子3両を調えて与えた男に、偶然船の乗り場で出逢った。互いに大いに喜び、しばらく話をしてから、「急ぎの船だから乗りたい」と某が別れを告げたが、この男は「こんな珍しい所でお目にかかったのです。特に再生のご恩をいただいたことは、片時も忘れません。何とぞしばらくこちらへお立ち寄りください。せめて少しの間ご休息なさって、今日はご逗留になり、明日船にお乗りくださいませんか」と強引に誘う。断ることもできず、その男に連れられて一宿した。宿の亭主も随分と酒食を用意し、下にも置かないほど丁重にもてなしてくれた。
ところが、昨日乗り遅れた船が、7里沖に出た海の真ん中で突風に見舞われ、波が荒れてあっけなく転覆した。船中の人は残らず溺死したという。某の子は、桑名の人に会って無理に宿へ誘われて船に乗り遅れたため、溺死の禍を免れた。「不思議なことだ。これはすべて陰徳の報いであるに違いない」と、人々は言い合ったという。(『譚海』巻之六)
入水自殺を図ろうとした若い女を助けた老侍が、船宿で再会した折にお礼として歓待されているうち、乗ろうとした船が転覆して命拾いをしたという似た話も別にある。
ここからは現代の話。昔、九郎義経が鞍馬山の天狗から譲られたとし、後に南北朝時代の武将である赤松律師則祐(のりすけ)が持っていたと伝える兵法書『兵法口舌気』に「おとがいと、手の脈を一度にはかり、ぴたりと一致すれば良し、まんいち一致しない時は大変な凶。これを特に「生死両舌(しょうじりょうぜつ)の気」という」とある呪いをあるビジネスマンが飛行機に乗る前に必ず実行していたが、ある時、胸騒ぎがしたため、予定を変更したところ、先の飛行機が墜落したという(早川純夫『珍奇江戸の実話』)。裏金を隠匿する議員もいる中、このビジネスマンは人知れず陰徳を積んでいたのかもしれない。 (G)
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