短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

雅明親王の万歳楽

23.03.06

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 皆さま、こんにちは。

 卒業式のシーズンですね。総合文化学科の卒業式は3月11日(土)です。翌日には、久しぶりに謝恩会が開催されます。

 さて、本日は雅楽曲「万歳楽」についてご紹介しましょう。「万歳楽」というと、お酒の銘柄を思い浮かべるかたも多いでしょう。もともとは、中国から伝来したとされる唐楽(とうがく)で、舞楽や管絃の曲名です。平調 (ひょうじょう)に属し、舞は四人で舞います。隋の煬帝(ようだい)が作ったとも、聡明な王が世を統治する時に、鳳凰という鳥が現れ「賢王万歳々々」を囀っているのを模したとも(以上『教訓抄』)、唐の則天武后の飼っていた鳥が人の言葉を話すのを曲にした(『楽家録』)とも言われています。伝来時から現代に至るまで、おめでたい時に舞われる代表的な曲です。

 さて、『貞信公記』(ていしんこうき 摂政関白太政大臣藤原忠平の日記)延長4年(926)10月19日の条には、醍醐天皇の大井川行幸の折、7歳の雅明(まさあきら)親王がこの万歳楽を舞ったという記録が載っています。

 「十九日、行幸大井河、御舟泛河、法皇相共御之、十皇子(雅明親王)奏舞(万歳楽)、了賜御半臂、又殊聴帯釼、侍従以上賜禄、訖侍臣預之」

舞楽図「万歳楽」 高島千春 画 江戸時代(文政11) 国立国会図書館デジタルコレクションより転載 

 舞があまりにも上手だったので、半臂(はんぴ 束帯のとき、袍と下襲の間につける胴衣)をご褒美にもらい、帯剣の許されたとありますね。

 雅明親王(920~929)は宇多天皇の皇子で、母は藤原時平の娘・褒子(ほうし)です。父の出家後に誕生したので、兄の醍醐天皇の猶子となります。万歳楽を舞った三年後、雅明親王は延長7年10月23日に僅か10歳で亡くなっています。万歳楽を舞った季節と同じ冬10月に亡くなったことで、雅明親王の万歳楽は人々の記憶に鮮明に残ったことでしょう。後の時代の『古今著聞集』巻7・管絃歌舞にも「232 延喜四年大井川行幸の折、雅明親王万歳楽を舞ひ給ふ事」として収録されています。

 「延喜四年十月、大井川に行幸ありけるに、雅明親王、御船にて棹をとどめて、万歳楽を舞ひ給ひける。七歳の御齢にて曲節にあやまりなかりける、ありがたきためしなり。叡感にたへず、御半臂をたまはせければ、親王給はりて拝舞し給ひけり。この日勅ありて、親王、舞剣をゆり給ふ。天暦の聖主、童親王の御時の例とて沙汰ありける。」

 延喜四年は延長四年の誤りです。

 「万歳楽」の舞を見る機会があったら、ぜひ雅明親王のことを思い出してみてください。7歳の子どもが所作を間違えずに、上手に踊った姿をオーバーラップさせると、愛おしく切なくなりますね。

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