短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(209) 江戸の珍談・奇談(28)-1  20230301

23.03.01

 落語「井戸の茶碗」と講談「細川の茶碗屋敷」とを併せたような話が『近世珍談集』の第二話に収録されている。落語の方は、古今亭志ん生(五代目)が講談から持って来た「古今亭の噺」といわれ、息子の志ん朝(三代目)も得意とした。だが、細川家が茶碗を利用して田沼意次を動かし屋敷を拝領する下りはない。細川家に仕える高木佐久左衛門が茶碗を領主に献じて得た300両の半金を支度金として茶碗の元の持ち主である浪人千代田卜斎の娘を得るという前半部分で結末とする。

 『近世珍談集』にある「神田橋御門外細川侯茶碗屋敷の謂れの事」は、一人の筆で全編を叙述したものであるから、一連の物語として齟齬がない。大変長いので、分割しながら紹介しよう。

 細川越中守殿の巣鴨下屋敷で門番を勤める何某は、大黒天を信心していた。だが、手許には絵像しかなく、何とかして古くても木像を手に入れたいと思っていた。古道具屋などで買い求めようとしたが、値段の折り合いがつかないまま過ぎていた。

 ある時、紙屑屋が訪れ、紙屑を売った時、その籠の中を見ると、煤けた木像の大黒天がある。これ幸いと値段を問うと、250文だという。百文から値段を吊り上げて行ったが売らないため、言い値で買い取った。その大黒天の大きさは六寸ばかりである。暇に飽かして清めてみると、腹の中で何か動く音がする。さては、腹籠りの大黒天だ、裏か下に穴があって塞いでいるのだろうと思い、ひねり回してみても、合わせ目すら見えない。振り廻す拍子にごとごとと音を立てるものだから、余程の重みである。あれこれいじり廻すうちに下の方がすとんと落ちた。印籠の蓋にしたような細工であった。中から紙包みを取り出して見れば小判である。肝を潰して数えると200両あった。

 不思議なことだと、しばし茫然としていたが、「この大黒天を売ったからには、持ち主は相当な貧窮に迫られたに違いない。この金子のあることを知らないのは、全くもって気の毒なことだ。何とかしてあの紙屑屋を捜して売主の家を訪ねてみたい」と思い、日々屑屋の来るのを待っていた。余程経てようやく例の屑屋がやって来たので、いつぞやの大黒天はどこから買い入れたのかと問う。屑屋は、盗品の出所を探っているのかと察して答えない。門番はそれを推察したから、「盗んだ先を問うのではない。この大黒を得た夜の夢に、今までの持ち主の許に数年あったが、持ち主が貧に耐えかねて自分を売り、汝の方へ来たった。直ちに元の主へ返してくれ。そうすれば、汝にも将来福を与えてやろうとご示現があったのだ。夢から覚めて手水をして拝んだ。すぐ朝にもお帰りいただこうと思うのだが、持ち主の住居も知らないから、空しく今日まで待っていたのだ。どうかそこへ連れて行ってくれないか」と偽って頼んだ。

 屑屋は、その話に安心し、「ならば申しましょう。それは柳原小柳町何屋の脇の裏店で夫婦暮らしの者です。ひどく不如意の様子で、私を密かに呼び入れ、その大黒を取り出し、300文で買い取ってくれないかと申しました。100文ならと突き放して帰ろうとすると、夫が、『それではあんまりだ。せめてもう少し出してくれないか』と申しましたが、承知せずに出て行こうとすると、『では仕方がない』と言ったので、本当は100文で買い取ったものです」と言う。

 門番は、「それでは、ぜひそこへ案内を頼む」と言ったところ、「そいつは迷惑だ。その日稼ぎの身の上、これから柳原まで無駄足をさせられては商売にならない」と屑屋は断る。「ただとは言わない。賃銭を出すからどうだ」と言い、200文で承知させた。何日と期日を決め、屑屋と同道して、例の柳原まで赴く。

 「この裏店です」と屑屋が指さす先を覗くと、長屋の中に古い腰障子を立てた一隅であった。懐から200文を取り出し、屑屋に与えて帰らせると、案内を乞い、主人に話したいことがあると来意を告げる。座敷へ上って見回せば、いかにもその日暮らしの貧乏世帯である。門番は、大黒を信心して木像を買い取り、元の持ち主の居所を屑屋から聞いて来たが、こちらで間違いないかと問う。主人は覚えがないと答える。主人の心中を察した門番は、「貧富は浮世の習い、少しも恥辱ではない。腹蔵なく打ち明けてほしい。少しお役に立てるかもしれないから」と言うと、主人は、「自分の親は質両替商を営み、土蔵を三・四個所持つほどであったが、類焼に三度遇い、そのうえ両親が相次いで亡くなったため、商売を止めて居食いをしていたものの、次第に身上が衰えてご覧のとおりに成り下った」と身の上を明かし、「あの大黒は祖父から伝来したものだが、先日止むを得ずわずか百文で売り払ったのだ。窮状をご推察いただきたい」と涙ぐみながら語る。(以下、次号)   (G)

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