(191) 江戸の珍談・奇談(25)-19
19.10.07
翌日、再び鈴木の家を孫助が訪れる。玄関口に立ったままで、面会を乞う。中へ招じ入れようとしても、入らない。何用かと問えば、「昨日言った雪駄問屋へ行こうと思うが、金子が少々不足する。お言葉に甘えて借用に来た」と言うのである。かねて言って置いたことだから快く貸そうと、金額を問う。金二分だというから、立ったまま二分金を一つ与えたところ、次に江戸へ来た折に返すからと言って、直ちに去って行った。〈『反古のうらがき』107ページ〉
その夜、妻戸娘を殺害した孫助は、窓から刀剣を投げ込んで、行方をくらましてしまった。叔父である石黒の長屋での事件で、その夜は雨が降り、空が黒かった。石黒は当番のため留守であり、事件の詳細を知る者はない。
これより前に、妻と娘が石黒宅にいる姿を見た者がある。化粧が濃く、およそお構い者の家族とは見えないという評判だったらしい。甲府へ連れて行くと孫助が言った時、他に姦夫でもあって、同行を拒否したからではなかったか。落魄した身に加えて、妻子にまで見放されたりしたら、こんな事件でも起こしてしまうのではと想像された。ただ、娘まで道連れにした理由は分らない。〈同上〉
この事件について、石黒は、夜中何者かが押し入って殺害した、と届け出た。孫助がお構い者であるから、夫であっても、江戸で事件を起こせば重罪となってしまう。そこで盗賊の仕業と言わないわけにいかなかったのであった。
ところが、投げ入れられた刀剣から犯人の目星がついてしまうのである。世に聞こえた虎徹という銘刀であり、孫助が追放された折、鈴木自身が立ち合い人として投げ与えたものであった。もはや孫助が下手人と極まってしまったが、お構い者が当地へ入り込むこと自体大罪だから、気の毒だと思ったのだろう、厳しい吟味も行われず、沙汰やみとなっている。
この辺りが現代人には理解しにくい。当時は、妻子を殺害したとしても、他人ではないため、さしたる科にはならなかった。それよりも追放の身でありながら、江戸へ立ち入ったことの方が重大な違法行為だったのである。だから、次のような親切心を示す者もあった。
その頃、飯尾一谷が加役(火附盗賊改)を務めていた。「下手人は夫しかない。だから、役人の中では必ず捕えようという者が多い。もし夫の行方を知っているなら、身を隠すよう伝えてくれ」と親切に告げてくれる。これは自分と交わりが深いという理由だけで、孫助の顔すら知らない。これほど人の憐れみを得るというのは、孫助が日頃篤実な人間で、かつ自分の仲間の誰もがその不幸を嘆いていたからである。結局、孫助は捕えられずに済んでしまった。〈同107~108ページ〉
虎徹の刀は切れ味が抜群によい。ところが、殺害に及ぼうとした孫助の手元には、ほしくともこの刀がなかったらしい。質入れをしていたためであろう。余程の金額を借り出したに違いなく、雪駄の仕入れ金では足りずに借りに来たのだ、と後になって鈴木は心付いた。立ちながら借用を申し出るとは確かに変だ。刀の受け出しのことしか頭になかったのだろう。自分は気付かなかったが、その場での孫助の動作がそわそわしていて何かおかしいと思った、と家人は語っていた。【続く】