戸定邸の中の西洋
19.05.24
「三月朔日、晴
九つ時過写真師宅え参り写像し、夫より花園・鳥獣園を遊覧し、珍しき鳥獣を見る。」
これは、1867年4月から開催されたパリ万国博覧会へ将軍・徳川慶喜の名代として派遣された徳川昭武の日記の一節です(宮地正人監修『徳川昭武 幕末滞欧日記』――本学文学部の大庭邦彦先生による解題あり)。当時14歳だった昭武は、マルセイユに到着した翌々日に早速写真を撮り、動物園などを見学しました。その後、3回の撮影記録がありますが、実際にはもっとあったかもしれません。渡欧の際初めて写真に接したのではなく、前年に京都の慶喜邸で撮影された肖像写真が残っています(松戸市戸定歴史館編集『プリンス・トクガワ』)。しかし、恐らくフランスへ渡った後、本格的な興味を覚えたのでしょう。仏文で記された『滞仏日記』にも、訪問する各所で写真を買い求めた記事が見られます。後年、写真を趣味の一つとして多くの作品を残しました。その一部が松戸市戸定歴史館に展示されています。
なお、この日記にはココアを飲み、コーヒーやレモネードを喫したことが書かれ、日本で最初にココアを飲んだ人物として知られていることは、皆様もご存じかもしれません。
万国博覧会において各国の王族との交流という使命を果たした後、留学生活に入りましたが、幕府瓦解によって翌年10月には帰国しなければならなくなりました(その後、1878年から丸3年間、2度目の留学を果たしています)。
最初の留学時は、今でいえば中学生がヨーロッパで過ごすようなものですから、耳目に入るあらゆる物に興味を抱いたことでしょう。軍事施設の充実ぶりや工場の生産力に圧倒された様子が、日記からも伺えます。自身、短銃や小銃を購入して試射もしていました。また、1867年の年末に洋服を購入し、フランス皇太子から贈られた愛犬リヨンとともに写真に収まっていますが、この服装に反発して一部の随員が帰国してしまったそうです。攘夷を唱える水戸藩の藩士でした。昭武の世話役だった山高信離(のぶあきら)は対応に苦慮し、範を示すため、自身断髪にまで及んでいます(前掲『プリンス・トクガワ』)。
これほど文明の差がある経験をしたのですから、帰国後はさぞかし西洋風の生活に浸ろうろうとしたのではないかと想像されます。ところが、退隠後に居住した戸定邸(1884年完成)は純和風の建物ですし、テーブルも椅子もありません。窓外に拡がる庭も明らかに日本庭園の趣向です。しかしよく見ると、ただ一か所、玄関から入ってすぐ左手にある内蔵庫の壁は、モルタルによって塗られていました。ボランティアのガイドの方によれば、伝来の家宝を火災から守るために取り入れた、当時日本でも大変珍しく新しい工法だったそうです。
単純に西洋の文物を崇拝する風潮に流されず、我が短きを補うために用いれば事足りるという合理的精神を昭武は身に付けていたのでした。
松戸市戸定歴史館は、国指定重要文化財戸定邸及び国指定名勝旧徳川昭武庭園を含む戸定が丘歴史公園内の一角にあり、本学のある相模台から南西に徒歩約6~7分。
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