(177) 味わい深い方言
17.10.16
大伴家持が兵部少輔として、防人(さきもり)に関する仕事をしたことから、防人歌を収集したことはよく知られています。故郷や家族から離れ、北九州に赴く東国出身の防人らは、それぞれの土地の言葉、東国方言で歌を詠みました。
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて世に忘られず(遠江国・若倭部身麿)
〔わが妻はひどく恋に苦しんでいるらしい。私が飲む水に面影にまでなって現れ、とても忘れられない。〕父母(とちはは)え斎ひて待たね筑紫なる水漬く白玉取りて来までに(駿河国・川原虫麿)
〔父母よ、身を慎んで待っていてほしい。筑紫にある水中の白玉をとってくるまでは。〕父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉(けとば)ぜ忘れかねつる(駿河国・丈部稲麿)
〔父母が頭を撫でて、無事でいよと言った言葉が、忘れかねるよ。〕韓衣(からころむ)裾に取りつき泣く子らを置きてそ来のや母(おも)なしにして(信濃国・他田舎人大島)
〔韓衣の裾にとりすがって泣く子を残して来たことだ。母もいないのに。〕
東京の大学に進学した地方出身の若者が、自身に訛りのあることを恥ずかしく思い、必死で標準語を覚えようとする姿を今でもしばしば見かけますが、地方出身の私としては、土地土地の訛りを耳にすると、どこか懐かしくほっこりした気持ちになります。
昔、父が山形弁を話したことから、東北方言にはとても親しみを感じてきました。最近、『東北おんば訳 石川啄木のうた』(新井高子編著、未來社、二〇一七年)が刊行になったので、ご紹介します。東日本大震災の後、大船渡市のおんば(おばあさん、おばさんの意)が集まって、石川啄木のうたを大船渡の言葉で訳すプロジェクトを、詩人で埼玉大学准教授の新井高子氏が立ち上げました。温かいおんばの言葉が心に染み入ります。
真夜中(まよなかが)ァ ふっと目(め)ァ 覚(さ)めで
なんつごどもねァぐ 泣(な)ぎだくなって
蒲団(ふとん)ば かぶったぁ。
〔真夜中にふと目がさめて わけもなく泣きたくなりて 蒲団をかぶれる。〕大(だい)どいう字(じ)百(しゃぐ)ばり
砂(すな)っこさ 書(け)ァでがら
死(し)ぬごど止(や)めで 帰(け)ァって来(き)た
〔大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり〕戯(おだ)ってで おっ母(かあ)おぶったっけァ
あんまり軽(かる)くて泣(な)げできて
三歩(みあし)も歩げねァがったぁ
〔たはむれに母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 散歩あゆまず〕あん時(どき)になぁ 言(い)わねぇですまった
大事(でぇじ)な言葉(ことば)っこ、今も
心(こごろ)さ残(のご)っでるがぁ
〔かの時に言ひそびれたる 大切の言葉は今も 胸に残れど〕
声に出して読むと、しみじみしますね。他にもたくさんのおんば訳啄木詩がありますので、よかったら『東北おんば訳 石川啄木のうた』を手にとってご覧ください。その土地の言葉の響きが、聞く者にも生きる力を与えてくれます。
※万葉集の歌は、中西進『万葉集 全訳注原文付(四)』(講談社文庫)から引用しました。