(176) 江戸の珍談・奇談(25)-5
17.09.17
鈴木の友人に浮世絵師があったが、その弟子の一人に栗園という人がいた。常に師を訪ねて来たが、ある時、同好の友が寄り合い酒を飲んだ。そこで、興に乗じた栗園が猿引きの囃す三味線を上手に弾くのである。周囲がどこで習ったのかと問うと、「これには恐ろしく悲しい物語がある。だからいつもは三味線を手に取ることはないのだが、一生忘れられない思い出だ」と答えた。不思議に思った友人らに促され、栗園は次のようにいきさつを語る。
ある年、絵の修業のため、わずかの蓄えの外、絵箱、絵筆、衣服の入った行李などを携えて上方へと出立したところ、伊豆の温泉で湿瘡がひどく出て来て、起居もままならなくなった。仕方なくここに逗留して二か月余り経てからようやく起きられるようになった。その間に衣服は破れ、蓄えも尽き、絵の道具までも売り尽くしただけでない。宿の飯代や薬代も多く嵩んでいた。
湿瘡が癒えたので、宿の主人に向かって、これまでの介抱の礼を言い、飯代と薬代の金額を問うと、積りに積もって三両余りになっている。「償いがたいから絵を描いてその代わりにしたい。もう少し養生させてくれないか」と持ちかけると、「あなたの絵がどれほどの価値のあるかは知りません。が、この辺で絵を好む人はない。三両の絵を描くには一か月や二か月で終わらないでしょう。あるいは幾月経ってもほしい人が出なければ、半年や一年かかるかもしれない。そうして三両の額を稼ごうとしたら、さらに三両の飯代が積もってしまいます。悪いことは言わないから、下男となって一年勤めたら、給金として三両進ぜましょう。これでまず飯代を払い、さらに半年勤めれば、路用や衣服にも事足りるくらい出来るはずです。それから江戸へ行きなさい。こんな不運の方だから、悪くしようとは思いません」と主人は諭す。
目の前が真っ暗となり、思わずさめざめと落涙した。その時、隣座敷にいた猿引きの乞食がこの話を耳にして、「かわいそうに。私の教えに従ったら、三両の飯代は払って進ぜよう。なぜかと言うに、先月まで一人の三味線弾きを連れていたが、病んで死んでしまった。その代わりになってくださったら、今から三味線を教えて、北国の方を廻り、私も江戸に赴くつもりだから、丁度いい。双方ともに助かるのです。どうか私の言うことを承知してください」と親切に言ってくれた。
それから昼夜を問わず三味線を習うと、それまで手にしたこともなかったのに、十日ほどで見事に弾き覚えてしまった。こうしてこの猿引きに従って北国を巡り歩き、江戸近くまで辿り着くと、千住の宿の酒家に入った。そこで猿引きが言うには、「あなたはこんな卑しい真似をなさる人とも思われません。今までは誰も見知らぬ所だからよかった。だが、ここからはきっと恥かしく思われるに違いありません。衣服を買って身なりを改めなさい」と金三分をくれるのである。
ありがたさが骨身に応え、伏し拝んで恩を謝す。「そなたの故郷はどこで、名は何と言うのか」と猿引きに問うと、「名はこれまでのとおり太夫と呼ぶばかりでそれしかありません。故郷も決まった所はなく、幼少から先代の太夫に連れられて諸国を巡ってきたから、父母も兄弟もありません。ただこの猿一匹のほか身寄りはないのです。さあ、一杯やりましょう」と言って、杯を廻らす中で猿を回しながら心地よく囃している。翌朝、太夫は私の名や住む所すら問わないまま、袖を払って去って行った。
その時習い覚えた三味線だから、死ぬまで忘れることはない。酒を飲んで興じた時には取り出して弾くけれども、弾くたびに涙がこぼれてしまう、と言い終えると、栗園はいとおしそうに三味線を撫でていた。