(170) 江戸の珍談・奇談(24)
17.06.11
今ではほとんど耳にすることのない諺の一つに「虎の子渡し」がある。西鶴の作品にも見られるとおり、商家での苦しいやりくり算段をいう。元は中国南宋時代末期から元時代初めの文人である周密(1232~98)が撰述した『癸辛雑識 続集下』にある話だが、ここでは田宮仲宣『嗚呼矣草(おこたりぐさ)』(文化2年-1805-序)の引くところに拠って紹介しよう。
清土(から)に虎がいて、子を三匹持っていた。その中の一匹の子虎は性悪で、母虎がいないと残る二匹の虎を食おうとする。そのため母虎は常にこれを守るのに余念がない。川を渡ろうとした時、一匹ずつ子を渡すと、どうしても一匹は悪虎に食われてしまう。そこで母虎は工夫して、まず悪虎を向こう岸へ渡して置き、次に一匹を連れて行って、悪虎を再び連れ戻る。川の前後に虎の子が一匹ずついることになる。そうして悪虎を元の岸に残したまま、残る一匹を川向うへ渡す。母虎は今一度戻って最後に悪虎を渡す。よって悪虎以外の二匹は無事である。三度子を渡して川向うへ越すところを、五度かけて三匹を渡した。虎が獣類だといっても、その才には見るべきものがある。これを「虎の子渡し」と一般に言っている。〈『日本随筆大成』第一期 第19巻、265~268ページ〉
また、後世の偽書ともいわれる『孔子家語(こうしけご)』(現存本には、前漢の孔安国が撰した書にその孫の孔衍が後序を補したものと記されている)にある「紫の緋(あけ)を奪う」という成句を田宮は取り上げ、その「紫」は江戸紫を想像してはならないと注意を促した。字書(何を用いたか未調査)に「紫は絳繒のごとし」(「絳繒」には「あかききぬ」と訓が付く)とある記述を引いて、紅絹(もみ)に似て黒ずんだ赤だとする。さらに「紫は黒紅なり」という語義説明や「紅紫赤」と字を連ねて書いてある例から、昔の紫を今の紛紅(まがいもみ)の色らしいと推定した。だから、紫が「緋を奪う」と言えるのである〈『東牖子(とうゆうし)』同上、145ページ〉。
因みに、「紫の緋を奪う」とは、侫人が仁者に似せることを憎む意であり、似て非なる者を指す。なお、『癸辛雑識』は『東牖子』の続編である。以上の二句は、現在の社会情勢を皮肉るのに使えそうに思われるが、ついでに、田宮が才徳と人品との関係を定義した警句を引いておこう。
才と徳とを兼ね備えた者を聖と言う。才があっても徳が足りない者を賢と言う。徳があっても才の足りない者を君子と言う。才がありながら徳のない者を小人と言う。才も徳もない者を愚人と言う。〈『東牖子』116ページ〉
大統領選挙で泥仕合を演じたばかりか、国家百年の計も理想も何も持たず、個人攻撃を繰り返すことで相対的に自身の地位を高めるしか戦法を持たないどこかの首脳は、果して上記のどれに属するのか、もはや言うまでもないかもしれない。