短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(156) 江戸の珍談・奇談(22)-4

16.06.19

ある人が、狢(むじな)と狸(たぬき)は雌雄であって、雌を狢といい、雄を狸というのだと語った。どうも胡乱な説だと思っていると、出羽の国由利郡の農民与兵衛という者がやって来て詳細に教えてくれた。与兵衛は昔狩人として鳴らし、南部藩から免状まで得ていた巨躯の持ち主である。そこで、狢・狸・貒(まみ)の区別を問うたところ、次のように答えた。よく似ているが、それぞれ別種で各々雌雄がある。貒と狢とは、毛色も肉の付き方も区別できないほどよく似ている。ただその区別としては、貒は四足ともに人の指のようで、方言に「熊のあらし子」(=クマの落とし子)という。狢は四足が犬と同じで、狸は痩せて胴のあたりが長い。私は17歳から狩り暮らしに慣れて、もはや60年に及ぶ。だから、獣のことはよく知っている〈『兎園小説』71ページ〉。

狢と狸が雌雄だなどという俗説は冗談にもなるまい。与兵衛の言うことが真実に近いのであろうが、この猟師、実はなかなか食えない男だったようだ。

与兵衛が言うには、熊に月の輪といって、咽喉の下に白い毛を持つ。その形が月の輪のようだからそう呼ぶのだという。ところで、その月の輪の形はすべて同じではない。円もあれば半輪もあり、細い月もある。また月の輪のない物さえある。これは、熊の生まれる日が15日なら輪が円となり、30日なら輪がない。残りは月の満ち欠けによって決まるのだ。〈同71ページ〉

狢・狸・貒の区別を真面目な顔で聞いている都会人を少しからかってやろうと思ったらしい。ところが、この月の輪は熊ばかりでなく、黒猫にもあり、月の満ち欠けに従って模様が異なるという奇談を仏庵老人の伝聞として海棠庵(=関源吾)が紹介している。〈同72ページ〉

現代人ならまさかと誰しも思うが、この話に付言した山崎美成は、「右仏庵翁の黒猫と熊と似たる話、世人のかつて知らざる事にて、いと珍し」と感心し、猫と虎とその所作が似ていることを挙げ、「これらうきたることにあらず。奇といふべし」と殆ど疑っていない。

その一方で、馬琴はさすがにこれらを怪しい話だと思ったらしい。虎は日本にいないから知らないが、猫ならいくらもいるからよく分かると言い、かつて妻が黒猫を飼っていた体験から常識的な判断を下した。年々生まれた子猫を見ても、胸に月の輪を描いたものはなかった。黒猫すべてに月の輪があるわけはなく、希にあってもそれは斑(ぶち)であるから、熊の月の輪と同一視してはならない。そもそも純粋な黒猫は得難く、大体毛を分けて見れば白い毛が混じっているものだ。そうでなければ、爪が白かったり、足の裏が白かったりする。だから、黒猫の胸が白いというのは、偶然斑となったに違いないというのである〈同72~73ページ〉。

当時、漢方薬の材となる動植物に関する知識は『本草綱目』などの百科全書によって得ていた。例えば、熊の胆嚢は季節によってその位置が異なるという。ところが、讃岐高松藩の家老で馬琴と親交のあった木村黙老が猟師の捕えて来た熊を医師とともに解体したところ、胆の位置が『本草綱目』の記述と異なっていた。さらにその猟師も、自分がこれまで獲た熊に、季節によって胆の位置が変わる物などなかったと明言したのである。当然すぎるほど当然だと思われようが、現代人だって、某辞苑などという権威のある書物に依れば間違いないと思い込んでしまう。何事も自分の目で確かめるまでは鵜呑みにしないことが肝心である。確認できないまでも、複数の書を見比べることくらいはした方がよい。

(G)
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