(141) 江戸の珍談・奇談(19)
15.09.04
万寿元年-1024-、花山法皇の皇女が深夜盗賊に拉致され、路上に放置されたあげく、野犬に食われるというショッキングな事件が発生した。その詳細については、繁田信一『殴り合う貴族たち 平安朝裏源氏物語』(2005年、柏書房)に譲るが、京都の町中でも死骸を放置すると、たちまち野犬の餌食になったことが知られる。
この犬は野犬だったろうが、周知のように狼も明治の後半まで全国各地に棲息していた。魔除けや憑き物落とし、害獣除けなどの霊験を持つとして、狼を信仰する風習が残る一方で、狼による凄惨な人的被害は歴史上数多く報告されている(平岩米吉『狼―その生態と歴史 新装版』1992年、動物文学会)。
日本(北海道や島嶼を除く)に棲息していたニホンオオカミは、残された剥製などから、体長95 ~ 114センチメートル、尾長約30センチメートル、肩高約55センチメートル、体重推定15キログラムほどだったとされる。意外に小さい。中型の日本犬といった程度だ。だが、侮ってはいけない。肩高から推して脚が長く脚力も相当に強かったようだ。しかも、群れで行動することが多いため、到底生身の人間の力ではかなうはずがない。
ここでは、そんな狼を相手に果敢に立ち向かい、逆にこれを倒した少年の実話を紹介しよう。
天明8年-1788-9月25日、信州と上州との境にある破風山の麓で、惣右衛門という百姓の居宅から3町(=約324メートル)を隔てた逢月という所に、猪鹿防ぎの番小屋があった。夕方、惣右衛門が息子の亀松をそこへ連れて行き、亀松が外で草を取り、惣右衛門が小屋で火を焚いていたところ、背後から突然狼が現われた。狼は、惣右衛門の足に食い付くと、あわてて振り返った惣右衛門の顎へ続いて食らい付く。惣右衛門がそのまま狼の耳をつかみ、大声を挙げたため、聞き付けた亀松が駆け寄る。亀松は、持っていた鎌を狼の口へ捻じ込むやいなや、後ろへ引き倒した。そして、両人で取り押さえたけれども、惣右衛門は、数か所咬みつかれた痛手のせいで体の自由がきかず、倒れてしまう。亀松は、再び起き上がった狼の口に石を差し込むと同時に、鎌の柄を突っ込んで、牙を欠いたが、狼はなおも暴れて亀松に掻き付く。そこで、親指で狼の両眼を抉り取ると、散々に打ち叩き、ようやく仕留めた。惣右衛門はあちこち食われたものの、急所でなかったため、亀松が介抱しながら家へ戻り、翌日から療治薬を用いると、日を追って快方に向かったという。〈山崎美成『提醒紀談』に引く「亀松手柄孝行記録」による-『日本随筆大成』第2期 2、167ページ〉
この時、亀松わずか11歳。年齢よりことに小柄で、しかも虚弱だった由。とてもこのように勇敢な働きをするとは見えない。それなのに、逃げもせず親の危急を救ったのは珍しく殊勝なことだ、と孝行記の筆者は結んでいる。記録として残っているということは、藩主を通じて幕府に申請したのであろう。以前紹介したとおり、孝子と認定されれば、幕府から褒美が出たのである。