短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(96) 三遊亭圓朝『怪談牡丹燈籠』(10)

13.12.24

飯島の脇腹に突き傷があったが、源次郎程度の腕前でできることではないから、恐らく飯島が熟睡しているところをだまし討ちにした後、刀で斬殺したに相違ないと、目付の検死により判断され、飯島家は改易となった。

主人の仇討ちに明日出立すると勇む孝助に対し、相川が折入って頼みたいことがあると頭を下げる。娘お徳との婚礼を今夜中に済ませようというのである。相川は、金子と一刀を孝助に与え、武運に恵まれることを心から祈る。

越後村上に潜むというお国と源次郎を追って、孝助もまた越後へと向かう。ここからは、孝助とその母との再会の話を紹介することにしよう。

村上では仇を見出すことが出来なかった。併せて当地出身である母の消息を方々に当たってみるが、杳として母の行方は知れない。そこで、主人の一周忌に合わせ、孝助は一旦江戸へ戻り、谷中の新番隨院へ詣でる。

当院の良石和尚は道心堅固の智識として知られ、人の未来を見通す力があった。お前には目出度いことがあるからすぐに水道端へ行くがいいと言われ、相川邸へと至れば、果してお徳が乳呑み児を抱いて現われる。出立の晩、一夜の契りによって出来た男子であった。

翌日の施餓鬼の後、良石和尚から神田旅籠町に住む白翁堂勇齋を明日尋ねるよう指示された孝助は、法事の帰り道に血の付いた刀を下げた賊と出くわす。格闘の末取り押さえると、それは山本を殺して逃げて来た伴蔵であった。

神田旅籠町の白翁堂では、勇齋が何の飾りもない貧乏長屋の中で、ぼんやりと机の前に坐っている。天眼鏡を取り出し、孝助の顔を覗き込むと、剣難があるが、進むに利あり、悪くすると斬殺されるよ、と仇討の困難を暗示する。また、孝助が探し人のある旨を伝えると、すでに会っているという。19年前位に別れたぎりだからそんなはずはないと言っても、勇齋は「会っている」の一点張りである。

孝助がもっと事情を知りたいとじれったく思っているところへ、別の客が入って来る。四十半ばの女の顔を見るなり、勇齋は近々死ぬと断言してしまう。女は、命数には限りがあるから仕方がない、実は一人尋ねる者があって、死ぬまでに会いたいと言う。勇齋はこれにも「フウム是は逢つてゐる訳だ」としか言わない。幼年の折に別れて以来、先方は自分の顔すら知らないはずだと女が言っても、「何でも逢つてゐます、もうそれで見る所も何もない」とそっけない返答に女が食い下がる。

女「其者は男の子で、四つの時に別れた者でございますが。といふ側から、孝助は若しやそれかと彼(か)の女の側に膝をすりよせ、孝「もしお内室様(かみさん)へ少々伺いますが、何(いづ)れの方かは存じませんが、只今四つの時に別れたと仰しゃいます、その人は本郷丸山辺りで別れたのではございませんか、そしてあなたは越後村上の内藤紀伊守様の御家来澤田右衛門様のお妹御ではございませんか。女「おやまアよく知つてお出(い)でゝす、誠に、はいはい。孝「そして貴方のお名前はおりゑ様とおつしやつて、小出信濃守様の御家来黒川孝蔵さまへお片付(かたづき)になり、其後御離縁になつたお方ではございませんか。女「おやまア貴方は私の名前までお当てなすつて、大そうお上手様、これは先生のお弟子でございますか。と云ふに、孝助は思はず側に寄り、孝「オヽお母様お見忘れでございませうが、十九年以前、手間四歳の折お別れ申した悴(せがれ)の孝助めでございます。りゑ「おやまアどうもマア、お前がアノ悴の孝助かえ。白「それだから先刻(さつき)から逢つてゐる逢つてゐると云ふのだ。……〈岩波文庫、153ページ〉

こうして再会した二人は、それぞれの身の上を明かしながら、白翁堂での奇遇を喜び合った。仇討に至る経緯を孝助が話すと、母は、越後を引き払ってから宇都宮に持っている荒物屋にお国と源次郎を匿っているというではないか。

黒川を離縁になってから縁付いた荒物の御用商人樋口屋五兵衛のところにいた先妻の子がお国で、意地が悪く、夫婦の合い中をつついて仕様がないから、十一の時江戸の屋敷奉公へやった。その先が水道端の三宅という旗本で、その後奥様に付いて牛込へ行ったと聞いたぎり消息がない。夫五兵衛が死んでも帰りもしない不孝者であった。それがふと転がり込んで来ているというのである。

あまりによく出来過ぎているが、孝助は、こうして母の手引きによって宇都宮へ乗り込み、宿願の仇討を果たす機会を得る。だが、それ以前に、孝助の母は、夫に孝ならんとして娘のお国を逃がし、そこで自害してしまう。これもまた白翁堂の予言どおりとなった。

(G)
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