短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(94) 三遊亭圓朝『怪談牡丹燈籠』(8)

13.12.05

父を殺した仇と知らずに主人飯島を槍で刺してしまった孝助の話には、実話に基づくとの説がある。岩波文庫解説に引く朗月散史『三遊亭圓朝子の傳』によれば、その因果話は以下のように紹介されている。圓朝は、しばしば牛込軽子坂の田中という旗本の隠居へ通って興味深い話を聞いていたという。恐らく、リアルな物語を作り出すために、旗本の生活などについて詳細な情報を得ようとしたのであろう。

暇ある毎に屋敷に至り、中二階にあがりつつ、借し机に打向ひ、大殿(=旗本田中某)より聞きたりし彼の牡丹燈籠にある如き、牛込のある旗下に飯島某といへるありて、一夜其の若党の為に槍をもて刺されつつ遂に命を失ひしが、此の某が若き折、一人の侍を殺せしに、こは若党の父なるを、何時しか知りたる事なれば、廻る因果の今爰に、其方の為に討たれしなりとて、懺悔したる一伍一什の話の趣を基礎とし、著作に思ひを凝しけり。〈岩波文庫解説184ページ〉

圓朝は、これとお露新三郎の怪談とを巧みに組み合わせて創作したものとおぼしい。一般に怪談の方が著名となり、夏の風物詩として取り上げられることが多い。だが、『牡丹燈籠』の一貫した主題は仇討の方にあるのである。

さて、本筋に戻ると、飯島に別れを告げて、孝助は足早に水道橋の相川邸を目指す。主人を殺めてしまった孝助が、まずは娘との縁談を破談にしてくれと申し入れたところから、例の粗忽者の新五兵衛との間で、なかなか本題に入れないやりとりが始まる。娘が気に入らないか、舅が悪いか、禄高が不足か、飯島家で失策をやらかしたか、などと相川が畳みかけ、多少の不始末なら俺が詫びに行ってやろうとまで言うが、孝助は「申すに申し切れない程な訳がございまして」と言葉を濁す。それでは、先約の女でもあるのだろう、その女の始末は俺が付けてやると、話は外れるばかり。

そこで、殿様は負傷していると孝助が告げれば、なぜ早くそれを言わん、参って助太刀いたそうと相川が勢い込んだところで、ようやく国と源次郎との密通から主人を誤って刺したことを告白するに至る。

孝「さういたしますると、廊下を通る寝衣姿(ねまきすがた)は慥(たしか)に源次郎と思ひ、繰出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みましたところ間違つて主人を突いたのでございます。相「ヤレハヤ、それはなんたることか、併し疵は浅からうか。孝「いえ、深手でございます。相「イヤハヤどうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ、無闇に突くからだ、困つた事をやつたなア、だが過つて主人を突いたので、お前が不忠者でない悪人でない事は御主人は御存じだらうから、間違ひだと云ふ事を御主人へ話したらうね。孝「主人は疾(と)くより得心にて、わざと源次郎の姿と見違へさせ、私に突かせたのでござります。相「これはマア何ゆゑそんな馬鹿な事をしたんだ。……〈岩波文庫、100ページ〉

この場面描写について、岡本綺堂は以下のように絶賛したという。

速記本などで読めば軽々に看過されてしまふ所である。ところが、それを高座で聴かされると息もつけぬ程に面白い。孝助が誤って主人を突いたといふ話を聴き、相手の新五兵衛が歯ぎしりして「なぜ源次郎……と声をかけて突かないのだ」と叱る。文字に書けば唯一句であるが、その一句のうちに一方には一大事出来に驚き、一方には孝助の不注意を責め、又一方には孝助を愛してゐるといふ、三様の意味がはっきり現れて、新五兵衛といふ老武士の風貌を躍如たらしめる所など、その息の巧さ、今も私の耳に残ってゐる。(中略)円朝は単に扇一本を以て、その情景をこれほどに活動させるのであるから、実に話術の妙を竭したものと云ってよい。名人は畏るべきである。〈「寄席と芝居と」―永井啓夫『三遊亭圓朝』246ページの引用による〉

無論ここばかりではない。社会風俗への省察に加え、人間観察にもその特異の才を圓朝が有していたことは、あらゆる場面を通じて十分に伺い知ることができる。

(G)
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