(91) 鸚鵡七十話の「兎」とジャータカの「鹿」
13.11.06
インドの説話集『鸚鵡七十話』(シュカ・サプタティ)の第四十話に、次のような逸話があります。
ターラカラーラーという森に、クティラと呼ぶ怖ろしい獅子がいました。彼は森の生物(いきもの)をかたはしから殺しましたので、森に棲むものたちは皆で相談して、獅子に申し入れをしました。「生物を何匹も殺すのはよくないから、獣(けもの)たちの方から毎日一匹ずつ罷り出ることにしましょう。そうすると、貴方様は飢(ひも)じい思いをすることもないし、我々も破滅から免れることができます」と。
獅子がこの申し入れを受け入れたので、毎日、森に棲むものたちの中で、その日に順番がきたものは自分から進んで彼のもとへ出かけて行きました。やがて、チャコーラという兎に順番がまわってきた時、兎は獅子の食事の時間にずいぶん遅れて行ったので、獅子は怒ります。
怒る獅子に対して、兎は、「出かける途中、別の獅子に出会いましたが、貴方様に対して罵詈雑言を吐き、激しく罵っていましたよ」と言います。すると、獅子は自分が絶大な権力を持つと思い込んでいましたので、プライドが傷つけられ、兎に、その獅子のところへ案内するように言います。そこで、兎は、深い水をいっぱいに湛えた井戸のところへ獅子を連れて行きました。兎は、例の獅子が、この井戸の中に隠れていると嘘をつきます。井戸の中を覗き込んだ獅子は、水に映った自分を見て、悪口を言った獅子と勘違いしてしまい、井戸に跳びこんで死んでしまいました。こうして、すべての生物は幸福に暮らすことができたとあります。
井戸の水に映った自分を別のものと思い込むのは、まるで、イソップの「犬と肉」のようですね。
さて、釈迦の前世の物語、ジャータカには、ブラフマダッタという、鹿狩りが大好きな王の話があります。王は、毎日、狩りに出かけては、鹿の肉を食べるのを楽しみにしていました。王の鹿狩りにかりだされた人たちは、たまったものではありません。鹿の群れを広い囲いの中に追い込み、王に、囲いの中の鹿をとるようお願いします。それ以降、王は、囲いの中の鹿を、毎日一頭ずつ弓で射て持ち帰るようになりました。囲いの中には、体の大きな金色の鹿王がいましたが、逃げ回ると皆、疲れるから、順番を決めて人間の前に自ら進み出るようにしようと提案します。
人間の餌食になる順番を決めてから、一応、囲いの中の鹿たちは落ち着いたように見えましたが、死の恐怖から逃れられたわけではありませんでした。ある時、お腹に赤ちゃんのいる雌鹿に順番が回ってきました。雌鹿は、赤ちゃんを産むまで待ってほしいと皆に懇願します。そこで、金色の鹿王が身代わりになることを決めました。
ブラフマダッタ王は、身重の雌鹿をかばった黄金鹿王に衝撃を受け、それ以降、鹿狩りはやめたそうです。
人間でも獅子でも凶暴なものに対して、とどめを刺すのか、それとも自分の身を犠牲にして諭すのか、難しい選択ですね。
皆さんは、どちらの話がお好きですか?