(65)『うつほ物語』仲忠孝養譚の仲忠①
13.02.03
『うつほ物語』俊蔭巻では、ひもじい思いをしている母のために、五歳の仲忠が凍った賀茂川から魚を取ってくる場面があります。仲忠孝養譚と言われる場面です。
氷鏡のごとく凍れり。そのかみ、この子(仲忠)いふ、「まことにわれ孝の子ならば、氷解けて魚出で来。孝の子ならずは、な出で来そ」とて泣くときに、氷解けて、大いなる魚出で来たり。取りて行きて母にいうやう、「われはまことの孝の子なりけり」と語る。[新編日本古典文学全集①73頁]
賀茂川は、流れのゆるやかなところでは実際に凍ることがあるそうなので、平安時代も凍りつくことがあったと考えても差し支えないでしょう。驚くのは、仲忠が「わたしが本当に親孝行の子なら、氷が溶けて、魚よ出てこい…」と言ったら、本当に氷が溶けて、大きな魚が出てきたことです。現実にはあり得ない話ですね。
これは、中国の『孝子伝』に登場する「王祥」の故事の影響を受けていると言われています。
王祥なる者は至孝なり。吾の時の司空と為る。其の母、生魚を好む。祥、常に懃仕す。冬の節に至り、池悉く凍りて、魚を要むることを得ず。祥、池に臨み、氷を扣きて泣く。而して、氷砕けて、魚踊り出づ。祥、之を採りて母に供す。(船橋本『孝子伝』下・27)
親孝行な王祥が、魚の好きな母のために、冬、凍った池を泣きながら叩いたところ、氷が砕けて魚が出てきたという故事です。上記のお話は、王祥が池の氷を叩き割って魚を取りだしたのではなく、孝行息子に天が感動して、自然に氷が砕けて魚が躍り出てきたと理解したいものです。
さて、幼い仲忠が寒さの中、魚を取ってきてくれたので、母は涙を流します。「小さき子(仲忠)の、雪を分けて、足は海老のやうにて走り来るを見るに、(母は)いと悲しくて、涙を流して」とあります。
仲忠の足が海老のようであったという表現について、河野多麻氏は、「手足が寒さであかくこごえている様子を蝦のようという。蝦はうでて(「ゆでて」に同じ)赤くなった蝦のこと。その色とかがまった形は当っている」と注しています(旧日本古典文学大系『宇津保物語 一』岩波書店)。これを受けて、室城秀之氏は「『海老のやうに』は赤く曲がっているさまの形容」としています(『うつほ物語 全』おうふう)。一方、野口元大氏は「成功した形容」としています(『うつほ物語』(一)明治書院)。
寒い雪の中だから、足がかじかんで赤い海老のようになっていると解釈したくなります。それに加え、魚を取ることに成功したので、嬉しくて飛び跳ねている様子をも表現しているかもしれません。
上流貴族の子どもが、真冬に素足を見せる格好をしているなんて、涙が出ますね。母を喜ばすために、仲忠が雪をかきわけて、細く小さな足を真赤にしながら、白い息を弾ませ「お母様、魚が取れましたよ」と駆け寄ってくる光景が目に浮かんできて、とても美しい場面だと思いました。