(51) 平安時代の通過儀礼―出産
12.09.12
平安時代、子どもを産むことが女性の大切な仕事であったことは、『枕草子』「すさまじきもの」の「婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所」からよく分かります。結婚すれば、平安貴族の妻たちは天皇に入内させるための女の子を、入内した女性たちは男の子を産むことを要求されました。
でも、お産で死亡する赤ん坊や女性が多く、当時の出産は命がけでした。貴族女性は若くして結婚し多産であることを要求されたため、体力を消耗して亡くなることも多かったのです。冒頭で紹介した『枕草子』「すさまじきもの」にも「乳児の亡くなりたる産屋」とあります。
命がけの出産であるからこそ、出産に関する儀式も多く存在しました。出産は人生の一大イベント、重要な通過儀礼の一つです。今回は、出産の儀式について、『源氏物語』を例にご紹介いたします。
まず、妊娠して五か月頃に「着帯(ちゃくたい)の儀」が行われます。懐妊を祝って、また胎児の安全のために、妊婦用の腹帯「標(しるし)の帯」を結ぶ儀式です。普通、妊婦の親族が贈り、祓えなどをしました。練絹(ねりぎぬ)一丈二尺(=約三・六メートル)の例があります。『源氏物語』宿木巻では、匂宮の子を宿した中の君について、「御腹もすこしふくらかになりたるに、かの恥ぢたまふしるしの帯のひき結はれたるほどなどいとあはれに」とあります。
出産の時期が近づくと、僧に読経、陰陽師に祓、山伏に祈祷を頼んで安産祈願をします。また、米を撒き散らして悪霊を祓う散米(うちまき)も行われました。『源氏物語』で、葵の上が産気づいた時、「いとどしき御祈祷数を尽くしてせさせたまへれど、例の執念き物の怪一つさらに動かず、やむごとなき験者ども、めづらかなりともて悩む」とあり、物の怪が取り憑いて離れないので、様々な祈祷が行われています。加持の僧たちが法華経を読んでいるといった場面もあります。葵の上の出産のために招かれた高僧は、比叡山延暦寺の天台座主(「山の座主」)でした。
出産の場所は、占によって里方その他の地にしつらえられた産屋を用います。その室内はすべて白画松竹鶴亀の屏風、白壁代、白几帳、白縁畳を用い、装束も女房に至るまで白一色です。葵の上も白い装束でした。
白き御衣に、色あひいと華やかにて、御髪のいと長うこちたきをひき給ひてうち添へたるも、
難産でしたが、葵の上に男児が誕生します。
すこし御声も静まりたまへれば、隙おはするにやとて、宮の御湯持て寄せたまへるに、かき起こされたまひて、ほどなく生まれたまひぬ。
「かき起こされたまひて」からは、当時、坐産であったことが分かります。
引き続き、出産後に産屋で行う儀式には次のようなものがあります(「産屋の儀式」と言います)。
– 「ほぞの緒」…臍の緒を切る儀式。『うつほ物語』蔵開上巻では、いぬ宮誕生の際、祖母である俊蔭の娘が切っています。
– 「乳付(ちつけ)」…新生児に初めて乳を含ませる儀式。選定された乳母がこれを行います。
– 「佩刀(はかし)」…皇子誕生の際に祝いの剣が宮中より届けられます。
– 「湯殿」…新生児に湯を浴びさせる儀式。
「湯殿の儀」は、皇子の場合、一日二回、七日間行われました。当然、日や時刻の吉凶を占って行われ、産湯の水も吉方の井戸の水などを用いました。湯をかける「御湯殿」と相手役の「御迎え湯」の女房が中心となります。邪気払いのために「虎の頭(かしら)」と「犀角(さいかく)」が用いられ、それと平行して、「鳴弦」や「読書始め(『孝経』を学者に読ませる)」の儀も行われたりしました。
「着帯の儀」や「鳴弦」「読書始め」の儀などは、愛子さまのご誕生の際にもニュースで報道していましたね。皇室では、古くからの儀式を受け継ぎ、今でも大切に行っています。
さて、出産にまつわる儀式が分かったところで、次回はいよいよ、『うつほ物語』のいぬ宮の誕生の場面を見てみましょう。
【参考文献】中村義雄『王朝の風俗と文学』(塙書房、一九六二年)。山中裕・鈴木一雄編『平安時代の儀礼と歳事』(至文堂、一九九四年)。秋山虔・小町谷照彦編『源氏物語図典』(小学館、一九九七年)。
※ 『高校生・短大生のための古典入門』シリーズはこちらをご覧ください。