短期大学部・総合文化学科 │ 聖徳大学

(40) 根岸鎮衛『耳嚢』(5)

12.05.22

根岸は、御勘定吟味役にあった時分、天明の大噴火を起こした浅間山によって受けた被害からの復興工事を進めるため、各村を巡回している。その折、上州片岡郡池村(多胡(たこ)郡、現在の群馬県高崎市吉井町)に至り、「和銅三年」から始まる石碑を拓本に取って持ち帰った。

この碑文について土地の者に尋ねると、和銅3年-710-、上野国甘楽(かんら)郡、緑埜(みとの)郡の中を分割し、片岡の郡として羊太夫という者に賜わった旨を記したものだという〈巻之二〉。

この碑文から着想を得て、日本列島への羊の伝来をこの頃とする論考を漫画に仕立てた作品がある。星野之宣「沈黙の羊」(『神南火(かんなび)』所収、初出は『ビッグコミック』2003年3月25日号)がそれだ。

星野には、代表作として宗像教授のシリーズがある。古代史特に鉄の伝播を中心とした文化史を専門とする東亜文化大学教授である宗像伝奇(むなかたくまくす)が様々な歴史上の謎に挑むという設定である。単に歴史学や神話学等の論考として面白いだけでない。登場人物の造形と心理描写が的確であり、しかも息もつかせぬストーリー展開であるから、上質な推理小説を読んだ後のような爽快感と余韻に浸ることができる。

その宗像教授のライバルとして登場する女性史研究科忌部神奈(いみべかな)が、教授と丁々発止を演ずるわけだが、次第に両者に隔たりがなくなり、互いに惹かれ合うようになる。『神南火』は、この忌部神奈を主人公とした物語であって、宗像教授の女性版といってよい。

さて、「沈黙の羊」は、忌部が群馬県富岡市にある貫前(ぬきさき)神社を訪れたところから始まる。頭部を殴られ倒れた女性を発見するが、その女性は動物の肩骨を握り、「お父さん」と言ったまま息絶えてしまう。

女性の父は在野の研究家である。例の碑文にある「羊」に基づき、古代に羊が渡来した証拠を見出そうと、家族を放り出して探索に没頭している。女性が幼児のころたまたま見つけたのが例の肩の骨で、太占(ふとまに=古代の占い)の跡さえあった。しかし、発見した場所が特定できないため、考古学資料としては価値がない。さらに新たな証拠を見出さねばならず、父は失踪同然に放浪するのである。

羊太夫なる人物が、銅の採掘や機織りの振興に努めたという伝説が当地に残されているという。根岸の拾った話もそれであろう。

明治以前に羊が持ち込まれた歴史について忌部の披瀝する知識は省略しよう。ともかく、忌部は「多胡」という地名から「胡人(=ペルシア人)」を想定し、人とともに羊と馬が持ち込まれたと想定する。女性を誤って殺した犯人と父との関わり、骨がもたらした家族の悲劇については、ぜひ原典を読んでいただきたい。

問題の碑文に話を戻そう。根岸が転載した文面は次のとおりである(原文は漢字のみ、訓読は根岸による)。

弁官ノ符、上野ノ国片岡郡・緑野郡・甘良郡幷(ならび)ニ三郡ノ内三百戸ヲ成シ羊ニ給ヒ、多胡郡ト成ス。和銅四年三月九日甲寅宣ス。左中弁五位下多治比真人 大政官二品穂積親王 左大臣正二位石上尊 右太臣正二位藤原尊

この銘に対して附せられた、栗本瑞見(くりもとずいけん)による注釈を根岸は併せて載せている。

栗本は奥医師(=将軍や奥向きの侍医)だった。この附記には、文政11年-1828-4月の識があり、御書院番を勤めた美濃部先生と呼ばれる人物に贈ったと記されているが、詳細は分からない。『日本書紀』和銅四年三月の条を援用しつつ栗本はこう断じた。

始(はじめ)テ此(この)国ニ多胡郡ヲ置(おき)タル時、始テ建立セル碑也。其(その)文至(いたっ)テ読(よみ)ガタキニヨリ、土人誤(あやまり)テ羊太夫ノ碑トス。羊ハ半ノ字ノ誤ナラン。三郡ノ内ヲ三百戸ノ郡トナシ給ヒ、半ヲ多胡郡ト成(なす)ト読(よみ)テ其(その)義通ズベシ。

なんと、「羊」は「半」の誤読だというのである。

こう言ってしまったら身も蓋もない。しかし、だからといって、星野の構築したロマンが無意味になったわけでもなかろう。昭和46年に創設された集英社による手塚賞を、星野は昭和50年に受賞した。現在までわずか15名しか入選していない新人賞を獲得した異才である。

小編の筆者も、受賞作「はるかなる朝」をはじめ、彼の作品はいずれも巻を措(お)くあたわずと言ってよいほどの愛読者だ。知的好奇心をくすぐってくれる星野の想像力には常に感服しているのである。

(G)
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