(36) 根岸鎮衛『耳嚢(みみぶくろ)』(4) -1
12.04.12
根岸は、聞き集めた雑談の真偽や虚実について、あからさまに論評することはない。「数多き中にはいつはりの言葉もありぬべけれど、かかる人の偽りは知らず、唯(ただ)聞きし事を有りのままにしるせり。」と序文に記したとおり、耳にしたままを集録する姿勢を保った。ただ、同趣の話題を通覧すれば、それに対する根岸の捉え方が自ずと看取されるから面白い。
例として、幽霊に関する聞き書きを取り上げてみよう。「遊魂をまのあたりに見し事」(巻之五)、「幽鬼其(その)証を留めし事」(巻之八)などからは、事実認定を優先しようとする奉行らしい視点が伺われる。一方、「幽霊なしとも極め難き事」(巻之二)、「幽霊なきとも申し難き事」(巻之五)などでは、タイトルからして懐疑派から一歩踏み出す危うさが見られる。その一方で、夜中に怪しい白装束を切りつけたら五位鷺(ごいさぎ)だったので、煮て食ったという巷説(巻之七「幽霊を煮て喰ひし事」)を紹介する口吻からは、一種の合理化にほっとしたような気息が感じられて微笑ましい。
さて、『耳嚢』中には、幽霊・亡魂が17体(?)程登場する。知己と会って対話を交わしたのだが、すでにその人は死んでいたという、現在でも耳にしそうな話もあるが、その大半は、根岸のいう「意念」が残る奇談に尽きてしまう。これらの話は、聞いたままを記したもので、評言は附されていない。
鵜殿式部という人の内儀の下で目を懸けて召し使っていた下女が病気のため、暇を与えたところ、しばらく過ぎてから、式部の母の宅へ病気が小康を得ている由を伝えに訪れた。下女の顔色がすぐれないのを心配し、老母が十分養生するよういたわると、下女は、土産の団子を置いて相応の挨拶をした後、座を立って退く。顔色の悪い下女を助けて帰らせようと家内の朋輩に行方を尋ねたが、誰も知らない。白い団子の並んだ重箱だけが残っていた。下女の宿へ問い合わせると、2・3日前に死んだという。(巻之四、下女の幽霊主家へ来りし事)
この下女のように、生前の厚誼・親切・恩恵などを謝しに現われるほか、遺児や夫に対する愛執捨てがたく、死後になお姿を見せる幽霊もある。
聾啞(ろうあ)の子を残して妻子に先立たれた染物屋は、生活にも窮したため、篤実な夫婦に株式や家財一切を預け、子の養育を頼んだ。隠居した染物屋に夫婦は孝心を尽くし、預った子を実子のように可愛がっていたが、隠居の死に続いて妻が亡くなってしまう。後妻に入った女も、この子を労わり育てていた。ある夜、後妻が一人で寝ている枕元に、この世の者とも思われない女が立ち現われる。次の夜もその姿を目にした後妻は、恐ろしさのあまり夫に暇を乞う。夫が呼んだ市女(いちこ)の口から、この家の事情を委細知らせたいという亡妻の言葉が伝えられる。幼子を預かるに至った一部始終を語り終え、その養育と家を大切に守ることを頼んで、霊は消え失せた。幽魂の信実に感じ入った夫が、施餓鬼の法事を営むと、夢に成仏の礼を述べに現われたという。
「この一段、談義僧の咄(はなし)らしけれど、至ってこの頃の事にて相違なき事なりと、ある人かたりぬ。」と根岸は結んでいる。確かに、談義僧が俗事を巧みな法話に仕立てた語りという趣も感じられるから、かなり潤色が加わってもいよう。
これが逆に怨念を主体とすれば、小泉八雲「破約」(『日本雑録』-1901年刊-所収)に見られるような凄惨な結末を迎える形式を生む。
決して再婚しないと臨終の妻に誓った夫が、家の断絶を避けるため新妻を迎える。ところが、夫が宿直の晩、前妻の幽霊が現われ、新妻の首をもぎ取って殺してしまうという話だ。
上田秋成を粉本とする、こうした猟奇的な方向にこそ小説家の食指は動きやすいだろうと想像してしまう。だが、そんな死後の復讐劇は『耳嚢』には見られない。それも当然だ。第一、殺人事件となれば、奉行の仕事に直接関わる。やたらに捜査資料を流用することは許されない。だから、始めから事件性を帯びた話柄は排除したものであろう。