(10)『うつほ物語』親子の別れ(俊蔭巻)
11.08.19
『うつほ物語』の主人公・清原俊蔭は、清原王と皇女との間に生まれた「一人っ子」でした。俊蔭は幼い頃より聡明であったために、16歳の時、遣唐使に選ばれます。たくさんの人の中から選ばれたのですから、息子の栄誉を親は喜ぶはずと思いがちですが、俊蔭の父と母は外国に出かけてゆく息子との別れをとても悲しみます。
想像してみてください。当時は電話のない時代です。しかも、船が難破することも多かったですし、遣唐使として唐に派遣され、二度と日本に戻ってこなかった人も多いのです。今の時代の「中国に留学」とは全く事情が違います。
さて、俊蔭の父と母が嘆き悲しむ場面を見てみましょう。
父母、眼だに二つありと思ふほどに、(父や母は、大切な眼でさえ二つあるのに、この子はたった一人しかいないと思っているうちに、)[新編日本古典文学全集①20頁]
「眼だに二つあり」…おもしろい表現を使いますね。『土佐日記』にも「眼もこそ二つあれ。ただ一つある鏡を奉る」(二月五日)とあるので、当時よく使われていた言葉かもしれません。
朝に見て夕のおそなはるほどだに、紅の涙を落とすに、(朝、俊蔭の顔を見て、夕方帰りが遅くなったというのでさえ、紅の涙を落として心配し悲しむほどなのに、)[新編日本古典文学全集①21頁]
「紅の涙」とは「血の涙」のことで、血が出るほど激しく泣くさまを言うことから、強い悲しみの表現です。
三人の人、額を集へて、涙を落として、出で立ちて、つひに船に乗りぬ。(父母俊蔭の三人が、それぞれ額を寄せ合って涙を流し、別れを嘆き悲しんだが、俊蔭は出発し、とうとう船に乗った。)
話はそれますが、『万葉集(まんようしゅう)』に遣唐使の母の歌が載っています。
> 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽(は)ぐくめ天(あめ)の鶴群(たづむら)(巻9・1791)
「旅人(息子)が宿りするであろう野に霜が降りたら、わが子を羽でつつんでやっておくれ。大空の鶴の群れよ。」…母の子を思う気持ちがひしひしと伝わってきますね。どの時代であっても、たとえ名誉の旅立ちであっても、子どもとの別れは悲しいものです。
俊蔭が23年後、日本に戻ってきた時には、すでに父と母は亡くなっていました。亡くなるその日まで、父と母は、毎日、息子の帰りを待っていたことでしょう。