目をかけ、心をかける
23.09.18
皆さん、こんにちは。社会福祉学科の進藤です。大学では、新学期✨が始まりました。私が養護教諭をしていた頃、9月1日の始業式には、子供達が笑顔で登校してくるかどうか、ソワソワとしていたことを思いだします。
ある時、小学生のお子さんを持つママ友に、子供が学校に行きしぶっていると相談されました。その時、私はこのようなお話をしました。「私は学校で働いているので、自分の学校の子供にはみんな元気に学校に来てほしいと願っている。でも、家ではお母さんだから、子供の心が一番大切。私だったらきっと、行きたくない時は行かなくていいよ、って言うと思う」
翌日、その子は学校を欠席しましたが、親御さんは特段騒ぎ立てることはせず、ただ子供の気持ちを受け止め、見守ってくれました。“分かってくれる大人がいる”、“いざとなったら休んでいい”、その安心感からでしょうか、その後も時々学校を休んではいたものの、長期欠席になることなく卒業をしました。もちろん、その子の性格や登校しぶりに至る背景を知った上でのことだったので、全ての場合に当てはまるというわけではありませんが、子供の持つ力を信じることが奏功した例でした。
私が担当している『健康相談活動』の授業では、養護教諭も教育的な視点を持ち、子供に自己理解と人間的成長を促す関わりが大切だと話しています。学生は、ともすると“自分が養護教諭にしてほしかったこと(=手取り足取り)”を“養護教諭として子供にしてあげよう(=先回りして手をかける)”とします。しかし、それは子供の成長を促すことができる手立てでしょうか?
養護教諭の専門的機能の拡大・発展過程として、小倉学氏は「人間形成の教育(教職)機能」を挙げています。手をかけすぎず、目をかけ、心をかけていくということ。これは、保健室にも子育てにも通じる大切なことだと思います。